なんで今さら竹竿か?


2019.05.17 22:55
なんで自分は竹竿にこだわって使っているのだろう?

僕だけでなく、けっこうバンブー愛用者は多くて、これまでも散々「なんでバンブー」っていう議論は熱く語られてきたわけですが。

そもそも遊びの道具なんて本人が好きな物を使えば何だっていいのであり、人にとやかく押し付けられる性格のものではありません。
自分がホントに好きになれるモノならば、それが一番幸せなはずです。

しかし「なんで竹竿なんか使ってんの」って聞かれたら、ちゃんと答えられないのはもどかしい。「なんとなく」じゃなくてキチンと持論を語れるようにしておきたい。「いい歳したオトナが熱くなってオトナ気ない」なんて言われても、それがコダワリってもんですし。

そんなこんなで道具についての個人的な考えを整理したいとの思いでこれまでに書き記してきた駄文があって、何となく手を加えていたら、だんだん長くなってしまい、また自分を含めフライフィッシングがマンネリ化しつつあるような気がしている人にはヒントになるかもとも思い・・・

・これはあくまで僕の個人的な考えであり、べつに竹竿を売りたくて書いてるわけじゃありません。興味を持ってくれるのは嬉しいですけどね。
考えに異を唱えたい方もいらっしゃるでしょうけど、あまり熱くならないでくださいねー。
クラシックカーの愛好者に対して最高速とか燃費とか、性能や合理性で車を論じようとするのはナンセンスであるのと同じで、バンブーロッドとカーボンロッドを並べて性能比較しようとするのはナンセンスな事です。 私が思うに竹竿を使うのは多分に情緒的な意味が大きいのです。

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かつてのフライフィッシングの黄金期、竹が唯一最良のロッド素材であり、その時代に釣法、道具、あらゆる事が確立され発展しました。
フライフィッシングはバンブーロッドを使い、鱒を対象とすることを前提に、基準にして発展してきたのであり、そう考えるとバンブーロッドを使った時に感じる心地よさ、『ちょうどいい感』がうなずけます。
昔も今も鱒は変わっていないのですから、道具だって昔のまんまでぜんぜん構わないのです。

身の回りの多くのモノがそうであるように、スポーツ・レジャーの分野でも自然素材の道具は化学製品に席巻されてしまい、過去の遺物、博物館の展示品になってしまいました。しかしフライフィッシングにおいては現代でもバンブーロッドやナチュラルのフライマテリアルは現役であり、最適最上の物とする声さえ多くあります。

なぜいまだにバンブー素材はフライロッドにおいて最上とさえ言われるのでしょうか?
制作に手間がかかって高価だからか?
自然素材から作られた工芸品としての美しさ、趣のある佇まいや釣り味、独特なゆったりとしたキャストフィール、所有することの満足感、魚がバレにくい、などなど。愛用者からは様々な意見が言われます。

僕がバンブーロッドを使っているのは・・・『竹竿で魚を釣ると気持ちいいから』かな・・・ あと、味わいがあって・・・

多くのフライフィッシャーが「バンブーロッドを使うようになったら、他のロッドは使わなくなった」とも言います。
その理由はおそらく、フライフィッシングという遊びの本質が、効率や成績や数値や順位や、そういったものを追求するものではないからなのでしょう。だからこそ、伝統的な、昔から変わらない道具が愛され続けているのでしょう。

茶道を想像してみてください。丈夫だから、安価だから、軽量だからという理由でプラスチックやチタンの茶器を使う人がいるでしょうか? 趣味や遊びの道具は実用性だの合理性だの数値的性能だので選ぶべきではありません。そんな事をしたら自分の趣味を低俗で安直なものに貶めてしまうだけでしょう。

貴方のランディングネットはおそらく銘木製ですよね? 丈夫で軽いからといってアルミやプラスチッックフレームのネットなんて味気ない物は誰も使いたくないでしょう。インスタ映えもしませんし(笑)
やはり額縁は古風でアンチークな木製の方が絵を引き立てます。
そう、竿だって同じ事。やっぱり味わい深い素材がいいのです。

もっと言うと、私見、極論ではありますが、、、
釣り道具は高性能になればなるほど、釣りがつまらなくなる。
(鱒幸竿の性能が低いとか、それを正当化しようという意味じゃありませんよ!w)

つまり対戦相手の魚に対して人間が優位になればなるほど、釣りはイージーになり、相対して面白みが減っていくのです。これは単純に釣れるだけで楽しいビギナー期にはあまり解らない事かもしれませんが(最初はフライで釣るってだけでも難易度高いんですから) ということは、我々のフライのテクニックがどんどん向上して、魚が釣れるのが当たり前になった時に、それでもハイテクで高性能である事を理由に道具を求め続けるのはどうなんだろうねということです。

ジャイアンツだけが強い野球はつまらない。 ゲームでも同じですよね。簡単に攻略できるゲームなら、すぐに飽き飽きしてやらなくなってしまいます。難しいけど努力を積んでテクニックを磨けばクリアできるかもって位の方が楽しいし熱中してしまう。そこのさじ加減が大切で。

釣りも近年、道具が著しく高性能化してしまい、性能や効果ばかり追求し過ぎた結果、人間側が有利になり過ぎてしまった。餌釣りなどは釣れすぎて、獲物を全部持って帰るせいで魚資源が枯渇してしまうと危惧されるほどです。(フライフィッシングだって腕利きが本気でやったら餌釣りより釣れてしまうのですがキャッチ&リリースが浸透しているのが救いです)

遊びの釣りと漁は違います。手間がかからなくて、よく釣れて、簡単で、楽に釣れて、そういう釣りはつまらない。
起重機みたいに強力で高性能な道具建てで魚をゴボウ抜きに引っこ抜くような味気ない釣り方は果たして楽しいんだろうか? 
魚との力関係で『ちょうどいい感』が得られるタックルバランスってどの辺なんだろう、って私は考えてしまいます。(単純に番手がいくつとかいう事を言ってるのではありませんので念のため)

竹という自然素材の材料的な性能は鱒を釣るのに『ほどよい』のではないかと思います。
特に日本のヤマメやイワナの様な小型の魚が対象である場合は竹がちょうどいい。
遠投が必要な釣り場で大型の鱒や鮭を釣るならカーボンロッドの方が向いていると私は思います。それでも竹竿を使う、こだわる人は少なからずいますけど。

伝統的だけど手間がかかり性能的には劣る道具やバーブレスフックをあえて使い、(つまりできるだけ鱒とフェアな条件で)魚との知恵比べを楽しみ、ハラハラした駆け引きをクリアして見事キャッチし、相手の健闘を称え、さらに賢く大きく強くなった鱒との再会を祈りながらリリースする。それでこそ紳士の遊びであり、釣り上げた鱒の自慢もできると思うのです。あくまで自己満足の世界ではありますけどね。

それと、有名ブランドの高級カーボンロッドより竹竿を持っていた方が、川で他のフライマンと会った時に優越感を感じられると思いませんか?(笑) 自分は旧式な道具の良さが判る通なんだぞという事でしょうか? 
これも自己満足のひとつなんでしょうねwww

そう、自分が満足できるかどうか、そこが遊びの中で一番大切な部分ではないでしょうか。

最近、釣りをしていても満足できなくてマンネリなんだよなあ、なんて感じてる方は道具選びの基準を見直してみると、また新鮮な感覚で楽しめるかもしれませんよ。

   
(たかだか30cmくらいの魚には竹竿で十分でしょう?)

鱒幸

フライフィッシングで日本の渓魚を味わい深く釣るための竹竿、鱒幸竿のページです。

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